高津 祐一たかつ ゆういち
明治大学商学部卒業後、株式会社リクルートを経て、1985年に株式会社ラディク、1998年に株式会社ウェブマネーを設立。
現在は電子レシートプラットフォームを提供する株式会社ログノートの代表取締役社長。
『WebMoney』創業。
きっかけは「インターネット」
まずは、『WebMoney』を始めようとしたきっかけをお願いします。
高津創業時の話をさせていただきますと、ウェブマネーの前、最初に起業した会社は、出版・広告代理業でした。メインクライアントは、今でこそ大手通信会社となった某社で、その社長と出会えたことが、直接ではなくとも、ウェブマネー設立の大きなきっかけとなりました。
経営者としても有名な社長ですね。
高津当時はWindowsが出る前、DOSV機が全盛の時代で、その時まだ26、7歳の社長がビジネス紙に特集されている姿を見て、自分と3つしか変わらないのに「すごい男が出てきたな」と。
そこでぜひ会ってみたいと飛び込み営業に行き、そこからのご縁で、最初の事業を開始したわけです。
その社長のサポートもあり、最初の会社は立ち上げから順調。しかしバブル崩壊の影響で、最初の事業を手放すことになる。
高津おかげさまでトントン拍子で売上も増えていましたが、いわゆるバブル崩壊を迎えまして。今でも覚えていますが、売上がガクッと1/4に落ち込みました。それで出版事業を一度リセットし、次のステップを模索し始めました。
このリセットから、『WebMoney』起業へとシフトしていくわけですが、そもそも出版・広告事業から『WebMoney』という電子マネーに注目したきっかけを教えていただけないでしょうか。
高津当時、Windows95が登場した時期で、昔お世話になった人から「九州のとある場所で大型のパソコンショップをオープンしたい、そのプロデュースをお願いしたい」という話がありました。そこで出版事業で知り合ったソフトメーカーやパソコンメーカーに声をかけ、売り場作りを手がけた際に、そのメインとして据えた商品が、マイクロソフトのWindows95でした。
このWindows95のウリが、当時まだ普及前の「インターネット」だったわけですが、店頭でデモを見た瞬間「これは凄いぞ」と衝撃を受けました。それからはもうしばらく本業そっちのけで、ひたすらインターネットに没頭していました。とにかくもう凄いと。『WebMoney』創業のここが第一歩です。
当時、どのあたりにインターネットの凄さを感じましたか?
高津ペーパーメディア出身ということもあり、メディアとしての可能性を感じたことが一つ。もう一つは、インターネットを通じて世界中とつながっているということ。中でも世界中の商品をネットで購入できるという体験は、ものすごい衝撃でした。
ただ、使ってみてひとつ不便なことがありました。それが決済の問題です。
当時もネットでの買い物はクレジットカードが必須でしたが、クレジットカードには最低決済額の設定があり、高額な商品しか買えず、マイクロペイメントに対応できていなかった。当時のネット決済では、最低10ドルとか20ドル以上という制約があり、たとえば、気に入った洋楽コンテンツを買いたくても、最低決済額の壁があるために、1曲単位で買えない。非常に不便を感じたわけです。
そこで考えました。「言葉の壁はあるけれど、国境とか世界の壁はインターネットにはない。ということは、インターネットという一つの国家ができてもおかしくない。そうなると、そこで使える通貨が必要になるはずだ。…よし、インターネットにおける世界共通通貨を作ろう。」と。
これが、『WebMoney』起業のきっかけです。
Windows95 のインターネットから、すでに未来を見透していたとは驚きです。そのきっかけから事業化に向けてのスタートは、具体的にどこから始めたのでしょうか?
高津事業化にあたっては、当時パソコンソフトを牽引していた大手の会社に話を持ち込み、何度もの話し合いの結果、事業部として、前身となるウェブマネー事業部を立ち上げることとなりました。
そこがスタートだったわけですね。実際に『WebMoney』というサービスをつくる上で、金融に関する勉強など、苦労した点があれば教えていただけないでしょうか。
高津実は、全く勉強しませんでした(笑)。もちろん立ち上げにあたり、最低限の知識は仕入れましたが、ここまでの事業を私一人の力で立ち上げることは無理だとわかっていましたから、さまざまな専門家を訪ね、「どうすれば自分の考えを実現できるのか?」という相談を繰り返していました。
たとえば、どんな方に相談していたのでしょうか?
高津「国に縛られることのない世界共通通貨はどう作れば良いのか?」という相談は、当時の大蔵省まで訪問してお伺いを立てました。ちょうどその時期は大蔵省でも電子マネー協議会のような組織を立ち上げていた頃で、参加メンバーは金融の専門知識がある方ばかり。ただ、それは民間ではなく「国としてどう取り組むか」という話が中心でしたから、私が思う「世界共通通貨」とは向かうべき方向が違っていました。ただ、この協議会の幹事役だった教授のひとりが後にウェブマネーの顧問になったりと、いろんな方の助けを借り、『WebMoney』というサービスがだんだん形になってきたというわけです。
そんな未知の分野に進む時、高津さんが心がけていることを教えていただけないでしょうか。
高津実現したい夢があっても、自分の能力や資金の理由から諦める人がいますが、自分一人でできないことは、素直に人の力を借りることが大切だと考えています。重要なのは「こういうことがしたいんだ」という自分のビジョンをきちんと伝えること。自分の周りには、自分より頭がいい人、自分よりもお金を持っている人がきっといるはずで、その人たちは「目的を達成するためにはどうすればいいのか」について、必ずいいアドバイスを返してくれる。創業時に考え抜いた自分の方針、行くべき方向、ゴール設定。それさえあれば、知識や資金がなくても問題ない。そう考え、いつも行動しています。
『WebMoney』創業から
20年を迎えて
1999年に法人化したウェブマネー。創業当初は社員20名からのスタートと聞いていますが、創業当初、社内はどんな雰囲気でしたか?
高津創業当初からの想いである「ネットにおける世界共通通貨」の実現について、毎週毎週、社員全員で議論を繰り返していました。みんなが思う「世界共通通貨であるために必要なこと」を、excelシート何十枚にも書き込んで、それを一つ一つどうやって解決していけばいいのか?どうクリアしていくのか?という議論を繰り返していました。
具体的には、どんな課題が出たのでしょうか?
高津たとえば、加盟店の開拓です。「通貨となるにはどこでも使用できることが大事だ!」という想いから、加盟店開拓をやろう!という課題が、特に現場中心に出ていました。
創業当初、どんなところに営業をかけたのでしょうか?
高津カードタイプの流通先としては、秋葉原の家電取扱店。加盟店としては、フラワーショップや旅行会社、外車販売店など、当時はまだリアルショッピング全盛の時代でしたから、インターネット通販をしている会社がほとんどなく、ネット通販のサイトを見ながら、1社1社アポイントを取って、お伺いしました。
今では「ネット通販」は当たり前の時代ですが、一般に広がったのは、確かに最近のイメージです。
高津正直、『WebMoney』をローンチしてしばらくは「時代が少し早すぎたかな」と思うこともありましたが、それでも続けられたのは、おそらく「あっという間にネットショッピングの時代が来る」という予感を肌で感じていたからだと思います。今にして思うと、結果的にいい時期にスタートできたと思います。
創業から20年、『WebMoney』はどう変化しているでしょうか。
高津創業当初は10箇所程度でしか使えなかった『WebMoney』も、今では加盟店も増え、取扱高も増え、お客様そして関係各社の皆様のおかげでどんどん成長しています。20周年を迎える『WebMoney』としては、今後も今以上に、より楽しい体験の提供、ユーザーの皆様により便利である存在であり続けてほしい。
何より、長きにわたり『WebMoney』をご愛顧いただいているお客様には、あらためて感謝の言葉を述べると共に、『WebMoney』はサービスとしても会社としても、お客様のため、さらなる拡大を目指し、努力を惜しむことなく突き進んでほしいと思っています。